東京高等裁判所 昭和50年(ラ)239号 決定 1975年8月07日
抗告人
国
右代表者法務大臣
稲葉修
右訴訟代理人弁護士
真鍋薫
右指定代理人
千種秀夫
ほか四名
相手方
清水ハルエ
ほか二名
主文
本件抗告を棄却する。
理由
抗告の趣旨は「原決定を取消す。相手方らの申立を却下する。申立費用は全部相手方らの負担とする」との裁判を求めるというにあり、その理由の要旨は次の通りである。
「一、民訴法三一二条三号後段(以下本規定という)の文書は、いやしくも当事者の意思に反して提出を命じうるとする以上、当該法律関係に関して作成されたものであることを要し、単にその内容が当該法律関係に関連する文書というだけでは充分でない。国家賠償請求訴訟においては事故原因に関する報告書といつた類の文書は、それが挙証者たる相手方らに対する抗告人の損害賠償義務に関して作成されたときに限つて本規定のへ該当性が問題となるのであつて、単なる事故報告書は本規定の文書に該当しないし、また、自己使用のために作成された文書もこれに該当しないものというべきである。
ところが、本件航空事故調査報告書(以下本件文書という)は自衛隊における航空事故の発生を未然に防止するに必要な資料をうるために作成され、事故の概要、原因、事故防止に関する意見、その他を記載したものであつて、相手方らと抗告人との間の法律関係について作成されたものではないし、また、航空事故の調査には民間人を含めた多数の関係者の協力が必要であるが、これらの協力者に真実を供述させるには、これによつて後に不利益を受けるようなことがあつてはならず、右供述が公表されることに対する不安があつてはならないから、その調査報告書の公表の当否はその作成目的に従い、関係庁の長が判定すべきものである。
従つて、本件文書が本規定の文書に該当しないことは明白であるから、相手方らの申立を認容した原決定は失当である。
二、相手方ら提出の本件文書提出命令申立書には本件文書の具体的内容はもとより、これによつて証明さるべき具体的事実も記載されていないから、原決定は民訴法三一六条との関係においてその効果が不明確であり、不当である。
よつて、原決定の取消、相手方らの申立の却下を求める」
抗告理由一について、
民事訴訟法においてもおよそ争点の解明に役立つ資料は全部法廷に提出されるのが理想であり、その理想を実現させるための方法の一つとして民訴法三一二条が設けられたものというべきであるから、同条三号後段のいわゆる法律関係文書も挙証者と所持者との法律関係に関係ある事項を記載した文書を指称するものと解すべきであるが、他方その提出によつて侵害される虞のある個人や企業等の秘密、公共の利益を保護する必要があるから、その保護の必要性が立証のための当該文書提出の必要性を上回る場合には、右法律関係に関係ある事項を記載した文書でも提出命令の対象とならないものと解するのが相当である。
ところが、前記民訴法三一二条が設けられた趣旨から考えて、当該文書の作成目的が何であるかは本規定の解釈には関係ないものというべきところ、本件文書は本件事故の発生情況及び事故原因を調査した結果を記載した文書であることは抗告人の自認するところであるから、これには相手方ら主張の本件損害賠償債権の有無に関する事項が記載されていることは明らかである。
ところで、抗告人は正義を実現し、国民を庇護すべき立場にあるのであるから、民事訴訟の当事者となつた場合でも、通常の当事者と異なり、事件の解明に役立つ資料は進んで全部提出し、真実の発見に協力すべく、ことに国家賠償事件についてはすみやかに真相を調査し、損害賠償義務を負担していることが判明すれば、直ちにその義務を履行すべきであり、従つて、法律関係文書もよほど重大な公共の利益を害する場合でなければ、その提出を拒むことは許されないものというべきであるが、本件文書が本件事故の真相の解明に役立つ唯一の文書であり、その本訴訟における開陳が公共の利益を害する虞のないことは本件記録に徴して認めることができるから、本件文書が本規定の文書に該当することは明白であつて、抗告人はこれを提出する義務を負担するものというべく抗告人のこの主張は理由がない。
同二について
本件文書の内容が具体的に主張されることは望ましいことであり、かつ、民訴法三一六条との関係で相手方らにも利益であるけれども、これが具体的に主張されなければ、同条適用の関係で相手方らに不利益になるだけであつて、これが主張されなくても、本件申立に文書の趣旨、証すべき事実等、文書提出命令申立の要件が備わつている以上、本件申立が不適法となるものではないものというべきである(右申立書記載の証すべき事実の程度でも国家賠償成立の要件に該当することは明らかである)。このことは同法三一二条の他の各号の文書について考えれば明白であり、抗告人のこの主張も理由がないから、採用し難く、記録を精査しても、そのほかに原決定を取消すべき事由を見出すことができない。
よつて、本件抗告は理由がないから、これを棄却することとし主文のように決定する。
(浅沼武 田嶋重徳 加藤宏)
【参考】 原審決定
(東京地裁昭和五〇年四月一八日決定)
主文
被告は、別紙目録記載の文書を当裁判所に提出せよ。
理由
第一 原告ら申立<略>
第二 被告の意見<略>
第三 当裁判所の判断
一 (所持)本件記録に徴すれば、被告が本件文書を所持していることが認められる。
二1 (民訴法三一二条三号後段について)
原告らは、本件文書が民訴法三一二条各号に当る文書であるとしてその提出を求めているが、先ず本件文書が同条三号後段にいう「挙証者ト文書ノ所持者トノ間ノ法律関係ニ付作成」された文書に該当するか否かについて判断する。
2 (本件訴訟の争点)
本件訴訟は、昭和四八年八月一日、清水功三等空尉、藤井睦夫一等空曹が、航空自衛隊西部航空方面隊第八航空団司令の命令をうけて、T三三ジェット練習機に塔乗したところ、発進後まもなく墜落し、右両名は死亡するに至つたが、右両名の遺族である原告らは、右事故は、右練習機のエンジンの故障等機体の欠陥により惹起されたものであり、従つて被告の練習機の設置管理の瑕疵によつて発生したものと主張して、国家賠償法二条一項に基づいて、損害賠償を求めたが、これに対し被告は原告らの主張を否認し、或は争つているので、本件航空機事故が被告の設置管理の瑕疵によるものであるか否かが、本件訴訟の主たる争点であることは当事者双方の主張に照らして明らかである。
3 (本件文書の性質)
本件文書は、航空事故調査及び報告等に関する訓令(昭和三〇年五月二六日防衛庁訓令三五号)に基づき、航空事故調査委員会によつて作成される文書であることが明らかである。
ところで航空事故調査委員会は、陸海空各幕僚長が、航空事故について行なう調査を補佐させるために、それぞれ陸海空各自衛隊に設置する機関であり(同訓令五条)、航空自衛隊において、航空幕僚監部に常置され(航空事故調査及び報告等に関する達、昭和三八年一二月七日航空自衛隊達六七号九条)、航空幕僚監察官の職にある隊員によつて充てられる委員長、航空幕僚監部他七ケ部の一定の職にある隊員により充てられる委員、一定の職務を担当する隊員により充てられる副委員(但し、飛行安全、操縦、航空機整備等の特技を有する幹部や医官が含まれなければならない)をもつて組織され(同達一〇条、一一条)、多角的な見地から組織的、計画的かつ大規模に航空事故調査を遂行するものであることが窺える。
次に、航空事故調査の結果は、航空事故調査報告書に記載され、委員長は、現地調査書を添えて事故発生の日から九〇日以内に航空幕僚長に提出することが義務づけられ(同達二〇条)、この航空事故調査書には、事故の概要(事故機の機種・機番・操縦者及び事故関係者、事故発生の日時・場所及び天候、事故発生時期、事故型態・航空機の損壊等、事故の経過概要等・事故の原因・事故防止に関する意見が記載事項とされ、また、右調査書に添付されるべき航空事故現地調査書には、担当委員が現地で調査した結果を総括報告、医官報告、整備器材関係報告として専門分野からのより刻明、詳細な分析結果を記載することとされている(同達一七条、二〇条)。
4 (法律関係文書)
「挙証者ト文書ノ所持者トノ間ノ法律関係ニ付作成」された文書とは、当該文書が、挙証者と文書の所持者との間に成立する法律関係それ自体を記載した文書だけではなく、文書の記載事項が挙証者と文書の所持者との法律関係に関連があるか法律関係を生成させる前提過程あるいは法律関係が発生した事後において作成された文書も含まれると解すべきである。
しかして本件訴訟は、国家賠償法に基づく損害賠償請求事件であるところ、本件文書は、本件航空事故が発生した後に、その事故の概要、原因等に関して調査した結果を記載したものであるから、不法行為の要件事実の一ないし数個の存否に重要な意味を持つので、民訴法三一二条三号後段にいう法律関係に関連がある文書と認めるのが相当である。
ところで法律関係文書であつても、そのすべての文書が文書提出命令の対象となるわけではなく、所持者が自己使用のために作成した文書については除外される場合もあると解するのが相当である。
そこである文書が提出義務のある文書であるのかどうかについて考えるに、所持者が自己のために作成した文書であつても、当該文書の作成手続、形式、内容が法令ないし訓令上明確に定められているときは提出義務を肯定できる場合があるというべきであり、それは、(1)当該文書の性質や、法令ないし訓令で作成義務を命じている趣旨のみならず、(2)当該事件における立証の必要性や立証事項の重要性、(3)代替立証方法の有無、(4)提出義務が肯定されたときに生ずる相手方および公共の不利益、損害等の諸事情を彼此比較検討して総合判断すべきである。
5 (比較検討)
(一) 本件文書の性質、法令上作成義務を負わせた理由
前記のとおり、本件文書は、防衛庁長官の発する訓令にその根拠を置き、記載内容、体裁等の細目は、航空幕僚長の発する達に依拠する公文書である。同訓令は、その前文で、自衛隊における航空事故の発生を未然に防止するに必要な資料を得るために訓令を定めるとあり、航空事故の調査結果を記載した本件文書が、事故の再発防止に役立てることを主たる目的として作成されたことは明らかである。また隊員の勤務状況の判定資料・懲戒処分の証拠として使用することができないと規定されている(同訓令八条、同達二四条)。しかしながら部外秘密と規定されていないこと、文書の保存年限が永久とされていること(同達二六条)や前掲の記載要件(事故発生の概要、原因等)などに照らすならば、本件文書は、事故の再発防止の目的のみにその使途が限定される理由はなく、例えば、国家公務員災害補償法一四条の法律要件である、本件事故が公務上の災害に該当するか否か、あるいは清水功、藤井睦夫両名が本件事故発生について故意または重過失があつたか否かの認定の一資料に供するなどの副次的な目的に使用しても差支えないと解する。
(二) 立証の必要性等
本件航空機事故が本件航空機の瑕疵によつて惹起されたか否かが本件訴訟の重要な争点であることは明らかであるところ、航空事故調査委員会の調査は、航空事故発生後ただちに実施され(同訓令四条)、機体、器材、人体等の証拠を自己の支配下において独占的に行なわれる結果、第三者が本件調査委員会と平行して事故原因の究明にあたることは事実上不可能であるのみならず、航空事故調査が終了した場合には、すみやかに損壊器材を事故現場から除去し、修理しまたは回収するものとし、事故現場から除去できないときは、分解して埋没させるとか、爆発により広範囲に飛散させるものとされ(同訓令一一条)、事後において私人が事故原因の調査をすることも極めて困難であるので、本件事故の原因が本件航空機の欠陥によつて惹起されたものであるかについて判断する資料は、本件文書以外には全くなく、唯一の証拠方法と言うことができ、それ故に極めて重要な文書であるといつてよい。
(三) 相手方もしくは公共の利益
被告は、本件文書が提出された場合の不利益に関して格別意見を述べてはいないが、この点についても検討すると、本件航空機と同機種のT三三ジェツト練習機は、昭和二三年三月合衆国ロツキード社が開発したもので、史上最大の生産機数を記録し、当該機は、昭和三二年二月一五日航空自衛隊に配属され、爾来総飛行時間二一六六時間余りを経過したものであり、清水功、藤井睦夫両名は、射撃区域の気象観測のために飛行したものであることは本件記録に照して明らかである。
してみると、以上のような本件航空機の実情、飛行の任務と、前掲の調査報告書の記載事項を対比して検討するならば、少なくとも当該機に関する限りにおいては、本件文書を訴訟において開陳することにより国家利益または公共の福祉に回復しがたい重大な損失、不利益を及ぼすおそれがあると解することはできない。
三 (結語)
以上本件文書の性質、立証の必要性、公共の利益等諸般の事情を考慮すると、本件文書は、民訴法三一二条三号後段の法律関係文書に該当し、かつ文書提出命令の対象外とされる文書と解することはできないので、原告ら主張のその余の文書提出命令申請の根拠につき判断するまでもなく原告らの本件申立は理由があるからこれを認容することとし、主文のとおり決定する。
(柏原允 小倉顕 飯村敏明)
目録
昭和四三年八月一日、清水功三等空尉、藤井睦夫一等空曹の塔乗した第八航空団所属T三三Aジェツト練習機が福岡県遠賀郡芦屋町芦屋灯台の北西約一五キロの響灘に墜落し、右両名が死亡した事故について、航空自衛隊航空事故調査委員会が作成した航空事故調査報告書(同添付の航空事故現地調査書も含む。)